筒描・印染の世界



描とは

 筒描とは柿渋を引いた和紙を筒状にし、先端に口金をつけ、筒の中に入れた防染糊を搾り出して、布に下絵を描いていく。
 糊引、糊置ともいう筒描の歴史は、中国から仏教文化とともに伝えられたとの説を持つが、染技法を分業した茶屋染、友禅染に遅れて江戸中期、木綿が藍と出会う頃より、目覚しく発展していった。素朴でのびのびとした文様構成は、依頼主との交流から生まれ、人々の喜びを我が仕事の品が出世すると喜ぶ、職人の心意気が文様を躍動感あるものとしたのであろう。
 名残をとどめる作品には
風呂敷夜着夜具地油単のぼり暖簾などがある。

-JAPAN  BLUE 藍染の美-より 武者のぼり-加藤清正虎刈り-一場面

 



印染とは

 三社祭・天神祭などの祭礼、万博・国体などのイベント、漁船の進水式や五月節句となれば 印染の世界である。祭を彩る印ばんてん手ぬぐいゆかた(浴衣)、イベント会場の寡囲気を盛り上げる万国旗横断幕、紺碧の空に映える極彩色の大漁旗五月のぼり(幟)などは、それぞれのデザインや色彩に工夫をこらした印染業者の作品である。
 印染は、“シルシゾメ”または“インセン”と読み、旗・幕・のぼり・印ばんてん・ゆかた・ 手ぬぐい・風呂敷・ふくさ・のれんなどに、固有の名称文字・紋章・記号(マーク)などを染め付ける染色をさす語として用いられている。
 しかし、この“印染”なる語を、わが国の文献に見出すことはむずかしい。印・標・徴などの文字が示す目じるし・紋章・記号などの意味と、染の文字が示す染色技術の意味を組み合わせた江戸時代からの造語であるらしい。

 一方、漢字の生まれた国である中国では、この“印染”なる語がわが国よりも一般的な言葉として用いられているのである。たとえば、中国の美術大学には印染科”なる名称の学科をもつ学校があり、染色工芸の展示場の説明文の中などにも印染云々の文字がよく見られるのである。中国で用いられているこの“印染“という語は、わが国で用いられている印染とは少し異なった意味の言葉として用いられている。すなわち、【中国語の“印染”は、二つの概念を意味しているという。“印”は図案・図柄をデザインすること、“染”は色を染めることであり、 “印花染色”の四字成句の“印”と“染”をとったものである。なお“花”は模様・図案のこと であり、“染色”は文字どおり色を染めることである。古来中国では、更紗のことを“印花布” とよんでいるが、この概念を理解すれば、改めて頷けるものがあるのではなかろうか。

 わが国で最初に“印染”の語を用いた人は、中国語の“印染”の意味を知り、わが国における上記のような染色の呼称としてふさわしいものと考えたのかも知れない。  実際に印染の要素は、永い伝統の中で育まれ新しい技術の進歩の中で洗練された、文字や図案のデザインカと優れた染色技術にある。大規模な量産態勢の工場に求めることのできない工芸的な香りの高い製品の生産こそ、われわれ印染業者が目ざすべき目標といえよう。

 現在のわが国には、数百を数える印染業者がある。そして、その印染業者の多くは、昔からの紺屋を前身としている。近代工業発展の波の中で、多数の紺屋がその規模・形態を変え、工場街に吸収されていったが、ひとり印染業者だけが昔ながらの姿を守っている感がある。このことは、少量多品種の染色を小まわりを利かせてこなしていくのには、昔からの家内企業的な 態勢が適していることを示してもいるが、同時に、印染の仕事の内容が多岐にわたり、そのい ずれの分野においても熟練した技術を要求されることも示している。すなわち、伝承による技能、正確な染色技術、優れたデザインカといった総合的な力を育成していくためには、父子相伝、弟子入り・のれん分けの時代からの職人の心が必要なのではなかろうか。 城下町には、必ず紺屋町とか染師町といった名の町がある。当時これらの町で仕事をしていた紺屋は、その国の文化の担い手であった。現在も、印染業者は、伝統的な日本の文化の担い 手の一人であるが、同時に新しい日本の色彩文化の創造者の一人でもある。 日本の印染”の次代を担う青年のために……との願いをこめて。

全国印染経営研究会 

技術顧問  佐 藤 弘 幸

-日本の印染-より

筒描糊置き風景


【筒描】の変遷とその魅力


 筒描は本来、染色の一技法を指す言葉である。それは「筒引き」、あるいは「糊染」とも呼ばれるように、もち米の粉で作った米糊を、筒状の渋紙容器に入れ、その容器の先端から米糊を搾り出して、白布の上に文字や絵を描くのである。そして、白布に置かれた米糊が乾いたら、布を染料に充分浸す。次いで、染め上がった布を水でよく洗う。すると防染していた米糊は洗い流され、白く抜けた文字や絵が現れるといったものである。
 一般にこの技法自身、あるいはこの技法を使って染色した染物を「筒描」というが、そんな筒描は、平安時代の巻物などに描かれている絵画資料から、平安時代後期には存在したと考えられている。しかし、日本には古来から伝わる染織品がかなり在るにもかかわらず、米糊防染技法を使った筒描の古代遺品は少なく、その使用が明らかに見てとれる品としては、東京国立博物館所蔵の「二本傘文様素襖」に代表される狂言用衣装が知られるぐらいである。

 このように古代遺品の状況を考えると「筒描」が普及の道を歩き始めたのは、筒描の素地布の中で最も多用された木綿が、盛んに栽培されだす桃山時代と考えるのが妥当のように思われる。
 木綿にとって最良の色材といえる植物染料の藍も初めは阿波徳島の特産物だったが、元禄に至って、海路の整備と共に発展をみた瀬戸内海航路を使って、京阪はもとより山陰、山陽の各地、そして日本津々浦々にもたらされ、全国に藍染めを業とする「紺屋」の発展をみる基盤が作らる。
 このように元禄時代は「筒描」と切っても切れない関係をもつ木綿、友禅、藍染めの三本柱が揃って筒描の飛躍的発展を保証したのである。そして元禄時代は、いわゆる幕藩体制も安定し、幕府や諸藩も殖産興業をめざし、人びとの生活も良くなり、江戸の庶民文化の華が開くのである。

 かくして「筒描」は、戦乱にあけくれた安土・桃山時代に、敵味方を識別する「旗指物」として脚光を浴びて以来ようやくここに庶民の生活と深く交わることとなる。ただし、もとより封建政治の下でも交わりであり、庶民一人一人の生活は決して豊かとはいえない状況下での交わりであった。従って筒描は自ら、町や村を単価にするグループ共同体との交わりといった形をとっていた。
 そんなことから、この頃の「筒描」は、地域住民の生活庇護を祈る場だった神社や仏閣との関係するものが多いといえる。例えばそれは、五穀豊穣を願って神社へ納めた「
奉納幟」や「祭礼幟」だったり、仏壇を壮巌するのに用いた「打敷」等であった。また、祭礼の祈りの娯楽として、神々へ奉納する目的を持って上演された芝居や狂言の興行等に欠かせない「芝居幟」や「芝居幕」や「狂言衣装」などであった。そしてそれらは住民たちの尊い喜捨によって購われることが多く、地域共同体の財物として、住民の間で大切に保管、保存された。
 そのように、民衆の生活で活用された「筒描」も、初めは公的要素を持つ暮らしの中で発展をみるのだが、町人文化隆盛を迎えた江戸後期になると、個と結ばれる生活にも浸透するようになって、多くの筒描が個人生活の場に登場することとなった。
 それらは武家、及び豊かな商家に誕生した男子の初節句を祝うための「
節句幟」店の軒先を飾った「暖簾」漁業や海運の生活で使われた「万祝」や「船幟」、街道や農業の場で活躍した馬を着飾る「馬飾り」物を包むのに欠かせない「風呂敷」祭礼行事の祈りの様々な「祭礼衣装」等である。
 そして、幕末あたりから裕福な町人の婚礼用具として用いられる「
油単」「夜着」「布団表」にも「筒描」がつかわれるようになり、その三種の婚礼用具が、文明開化の明治時代に入って筒描の絶頂期を演出することになるのである。
 だがそんな隆盛を誇った「筒描」も大正から昭和へ時代が移るうちに、染織の世界にも押し寄せた「工業化」という波に飲み込まれざるを得なくなる。そして日本の他の手仕事同様、誠にあっけなく今日の壊滅的状況を見ることになるのである。
 そんな「筒描」の魅力について述べると、それは先ず自由で新鮮な躍動美を、誰の眼にも分かりよく伝えるところと言いたい。きっとその魅力は筒状容器の細い口から手の赴くまま一気呵成に米糊を搾り出して、絵文様を描くといったその絵画的手法がもたらすものだろう。
 骨太の糊の線で描かれた絵文様は、台頭する庶民のエネルギーと結ばれて、「筒描」に新鮮な命を吹き込んだ。そして庶民の素朴な生活感情を、木綿のキャンバスの上へ、自由に生き生きと、かつ赤裸々に表した。そんな民衆の自由な解放感を、風のように観る人の心へ颯々と伝える。その吹きわたる風は、何とも言えず心地良い。そのさわやかさこと筒描の最大の魅力だ。
 だがいま一つ魅力を言えば、それは「筒描」が古き良き時代の民衆の誰もが持っていた「祈り」の感情と深く結ばれていることである。
 民衆の生活と交わることによって発展していった「筒描」の種類を、発展順に「
奉納幟」「祭礼幟」「打敷」「芝居幟」「芝居幕」「狂言衣装」「節句幟」「暖簾」「万祝」「船幟」「馬飾り」「風呂敷」「祭礼衣装」「油単」「夜着」「布団表」などに先に記したが、それどれをとっても背後に看えるのは庶民の「祈り」の情感である。
 現代のような科学の進歩によって恐れを知らなくなった我々からすると信じられないほど少し前の日本人は自然によってその生活を脅かされていた。日照り、雨、風、雷、雪、地震、火などの自然がもたらす災害や、病苦から逃れる術は、神仏への祈りであった。また、元服、婚礼、葬式、祖先の祭の四つの重要な人生儀式も、神仏への祈りを通して行われた。そしてこの祈りの場の重要な用具として活用されたのが、他ならぬ「筒描」であった。従って筒描には、自ら神仏を畏れ敬う人間の美点がにじみ出ているものが多い。そんなわけで筒描は人を謙虚で清らかな「祈り」の世界へと誘い、心を平安にする不思議な魅力があるといえる。

 

日本民藝館学芸部長 
尾久彰三

-絵画としての筒描-より
鳳凰タペストリー 復刻版
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